2009.06.19

壱岐市立病院大改革 その1

連載 市立病院大改革(その1)
『若手職員「ツブれずに良かった」 氷見市民病院で試され済み』
壱岐日々新聞 2009年6月19日

 壱岐市民病院民営化構想の発表は、看護専門学校誘致成功の報と合わせ、島を揺らすような大反響となった。とはいえ、当の市民病院職員は一丸となって猛反発するだろうと誰しもが予想するとこと。だが、意外な反応が多い。若手職員の中から出ている「ツブれないで良かった」という声だ。累積赤字14億6千万円という絶望的ともいえる崖っぷちの上で自分達の将来にも絶望していた職員によっては、「病院再建・医療再生」を目指す1本の光は、たとえ公務員の身分喪失・給与切り下げと引き換えでも、「良かった」と受けとめられたので。

 実は「病院閉鎖」という悪夢は決して"夢”ではない。07年には新潟県糸魚川市の中核病院である姫川病院が負債2億円で経営破綻し閉鎖。全国の注目を浴びた。しかし今では病院閉鎖は珍しくない。

 千葉県の銚子市民病院は昨年9月、突然の閉鎖。今年3月には大阪府の市立松原病院が閉鎖し、市民は市長リコール運動を起こしたが世論は動かず。リコール断念の結末。壱岐市民病院もこのまま進めば「閉鎖」の文字が見える所まで来ていたわけで、職員の「ツブれないで良かった」の言葉には深い実感がある。

 さて、国の公立病院改革懇談会の座長・長隆氏の「8月には答申、9月には指定管理者決定」の発表に「大ぶろしきでは?」と疑いを持ったという声も多い。しかし、富山県氷見市の氷見市民病院で、壱岐の計画と同じような"離れ業”の先例があった。

 氷見市民病院は富山大学の関連病院として、主に富山大から医師派遣を受けて運営されていた350床(壱岐市民病院は200床)の中核病院だ。しかし、富山大が医師派遣を制限しだして回らなくなり、存続の危機に。堂故市長は07年5月、改革委員会を立ち上げ、長氏がその委員長となる。答申をまとめたのはわずか1ヵ月半の猛スピード。9月には定例市議会で病院職員を公務員の職から解く条例を可決、公設民営化を決定。長氏は議会の協力の重要さを繰り返し訴え、議会もこれに応えた。そして指定管理者の募集に2大学が応じ、秋には金沢医科大学を向こう20年間の指定管理者に決定。同大学は早くも11月30日に「開設準備室」を設置。翌4月には病床数を250床に減らし、「金沢医科大学氷見市民病院」オープンが実現した。委員会設置から10ヶ月の早技だ。

 同病院は独立採算。そして市長と病院経営責任者と病院などで「管理運営委員会」を設置して重要事項はここで協議することにしたが、基本的には病院内のことに市は口出しをしない。病院は24時間365日の救急医療態勢をとり、市医師会との連携や福祉との連携も進める。

 実はひとつだけ"波乱"があった。労組が不当解雇と提訴したのだ。しかし"大岡裁き"が効をなし円満解決となる。病院職員は100%再雇用というだけでなく、「5年間現給補償」としたのだ。そして民営化で大きく下がった給与と現給との差額は、公務員の身分を保証され続ける本庁職員が負担することになった。まるで「三方一両損」のような結末を長氏は「不幸になった人がいないと私は考えております」と表現する。

 氷見市民病院民営化の経過を見れば、壱岐市民病院のスピード改革構想は決して"大ぶろしき"ではなく、"試され済み"といえよう。